大悟への道 (旧名・名作漫画ブルース)

名作漫画の紹介 ・・・個人的な旅の記録

手塚治虫(1)

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はい、皆さまこんばんは。
今回から新シリーズで、手塚治虫先生を紹介します。
何で私のごときが今更あの神様を…って?
もちろん私だって本領発揮とばかりに、ガロ系とかのマニアックな方へ向かいたいですよ。
でも、漫画マニアとしては、その漫画の方法論をほぼ作り上げた方を素通りってわけにはいきません。

ストーリー漫画の開祖と言われ、『戦後の漫画は全て手塚治虫のパクリともいえる』

とまで言われたりする神様手塚様の功績は偉大!
生涯に15万枚とも言われる原稿枚数がそれを物語りもしますが、決してその量で偉大さが語られるわけではありません。面白いからなのです!

実際に私自身が手塚先生を大好きで、中三くらいから手塚漫画を集め始め、10代終わりの頃には主要作品全部をはじめ、かなりの量になってましたね。
いくらなんでも描き過ぎな原稿に追われてて、確かに量産の爪あとというか、やっつけ仕事みたいな漫画もあるし、個人的に全く好きになれない漫画を描いてた時期もありますが。

何と1946年に17歳で新聞連載の「マアチャンの日記帳」にて漫画家デビュー。その後漫画を描き続け、20歳の頃には「前世紀 ロストワールド」などの傑作を医学生のかたわら(!)で描いて…
みなさんは手塚治虫先生の代表作といえば何を思いつくでしょうか。
「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「海のトリトン」「どろろ」「火の鳥」「ブラックジャック」「リボンの騎士」「ブッダ」「アドルフに告ぐ」・・・・
有名作品が、まだまだいくらでも思いつきますよね。

しかし!後追い世代の私が少年時代に衝撃を受けたのは、
「きりひと讃歌」「奇子」「一輝まんだら」「シュマリ」「ばるぼら」「MW」・・・・・

そんな'60s~'70sに描かれた大人漫画で、ほとんど大都社から出版されてました。
はまりましたよ~、これらには。震えながら読んでました。
もちろん他にも数ある、ブラックな短編も大好きでした。

当時はそんなに手に入らなかったのですが、今の若者には嬉しい事に(オリジナルで集めたいコレクターとしては正直複雑ですが)、手塚漫画は文庫でも愛蔵版でも復刻されまくってて、今挙げたのはどれでも現在読めます。
なのでまだ未読の皆さんには是非読んでもらいたいのですが、ただセリフは変えられてたりするので、こだわる人は古本屋でオリジナルを探しましょうね。
手塚漫画は復刻ブームの影響で、現在あまりプレミアは付いてないですから。

そうそう、滅多に復刻本は買わない私ですが、珍しい本が出版されると買ってしまったりします。
しかし手塚先生の没後に、とある団体に抗議を受ける事件があり、それから単行本には差別描写についての弁明が巻末に必ず付いてますね。
あれには冷めます。
そんな事言わなくても分かってるよ!とは思いますが、当時の背景も作品の内容も全く理解できてない人が、またいつ抗議してくるかもしれないとの出版社による配慮なのでしょうね。
しかし手塚作品を…ハァ。

さっき触れた大都社から出てた一連の作品はどれもお勧めなのですが、あらゆる出版社から、いろんな作品が出てますよね。
会社名は挙げてたらキリが無いのですが、私の好きな青林堂からも豪華な本がいくつか出てるというのは嬉しい事です。ガロの会社ですからね!

ここでもうちょい詳しく手塚治虫先生のプロフィール等を振り返ろうとも思ったのですが、誰もが知ってるあの日本で一番有名な漫画家の事ですのでね、ざっとの紹介にしましょう。
1928年11月3日に手塚先生は大阪で生まれましたが、育ちは兵庫県宝塚市です。
現在はその宝塚に"手塚治虫記念館"というものがあります。まぁ言うまでも無いでしょうが、私も数年前に既に訪ねてきましたよ。

漫画の神様・手塚先生でありますから、当然ネタや伝説で話も尽きないのですが、特に有名な話はどれでしょうか。
昆虫好きが高じてペンネームにの字をあててしまったとか?初期は"おさむし"という振り仮名付きだったようですが、すぐに読み方を"おさむ"に改めたそうです。
それに、あのベレー帽をかぶったご本人の顔自体が有名ですね。常にかぶり続けたものだからハゲてしまい、カツラがわりだったとか。ついでに50代で総入れ歯だったみたいですよ。
あそこまでの漫画人生では、自身の健康など重要では無かったのでしょうか。

戦争体験もあります。そこで生命の尊さを考え、後年医者の資格を取ったというのも広く知られてます。
でも自身の漫画の中でも描いてますが、彼は戦中、そして医学大学の授業中にも漫画ばかり描いてたみたいですね。
彼にとっては訓練や授業より漫画の方が遥かに大事だったのでしょうが、漫画家になって良かったですね~。漫画界にはもちろんですが、医学会にとっても良かった(笑)

実はちゃんとした美術の勉強をした事はなく、後続の漫画少年達にはかりしれない影響を与えたあの「新宝島」ですらも、当時の漫画界で大御所だった島田啓三新関健之介にデッサン力の無さを指摘されてしょげかえったとか…
(その後の活躍や現在の漫画シーンを見れば、漫画家に必要なのは決してデッサン力でないのは証明されましたが)

しかも漫画や医学だけの方であるわけもなく、アニメーションにも造詣が深かった。
ただ自身の作品がアニメ化あれるだけでは飽き足らず、アニメーション専門の会社手塚動画プロダクションを作った。
この後に虫プロとなる会社が、なかなか優秀なアニメ作品を作り始めるわけですが…

私の興味があるのは、やはりアニメではなく漫画。
虫プロから分離した虫プロ商事が、やはり手塚のフィールドである漫画雑誌を創刊します。

その名もCOM(コム)。

1967年から1973年まで、"まんがエリートのためのまんが専門誌"をキャッチフレーズに出版されていたのですが、これは月刊漫画ガロのライバル誌として争いました。
(ガロとライバルと聞いて「なーんだ」と思った貴方!!違うんです!今はマイナー誌イメージしか残ってないガロも、当時は物凄かったのです!)

しかし…虫プロ商事は倒産。
手塚先生をその後の長い期間に亘って苦しめる借金を作ってしまいました。

しかしCOMの功績は大きい。
手塚先生自身は「火の鳥」発表の場として使ってたのだし、石森章太郎先生、永島慎二先生、松本零士先生、藤子不二雄先生らが名作や実験作を毎月書き上げてたわけですよ。
さらに!COMデビューの新人作家も凄い!!
能条純一先生、青柳裕介先生、岡田史子先生、宮谷一彦先生、竹宮恵子先生、あだち充先生あたりはかなり意外じゃないですか??
さらにさらに!日野日出志先生、諸星大二郎先生なんて、私が思わずニヤリとしてしまう、大好きな作家も。

おっと、手塚先生の話からちょっと脱線しましたね。
そのまま手塚先生の人生についてもそれ以降は省略しますが、とにかく1989年2月9日、60歳で神様死去です。
もうどこでも使われまくってる文なので恥ずかしいけど、やはり名文なので…
この逝去の翌日に朝日新聞に掲載された社説の一節を引用して終わりましょう。

 日本人は、なぜこんなにも漫画が好きなのか。
 なぜ、外国の人はこれまで漫画を読まずにいたのだろうか。
 答えの一つは、彼らの国に手塚治虫がいなかったからだ。


合掌。
次回から漫画作品の紹介に移りますね。
(これまたどれから行こうか選ぶのが困難だ。)

おやすみなさい。


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  1. 2006/04/03(月) 21:52:20|
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BRUCEです。あだ名は大悟(DieGo)です。
大悟…つまり悟りを開くに至る道程にある事を表し、かつ神の映画「ドラゴンへの道」から頂いてのブログタイトル。同名の秘密結社も運営しています。

名作漫画紹介の形を借りて、自分の記録用に使っています。

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